理事長コラム

シリーズ『次世代につないでいく(2)』
■志の出発点

昭和40年の真冬、氷結の石狩川を渡った汽車に乗っていた。車窓からの風景が雪の平原と一変した駅が目的地だった。上野駅から鈍行で丸二日かけて、木内神父が原野を拓いて建てた施設の話を読んで訪ねた。就職のための訪問だった。が、信仰をもたない者を迎えることができないと断られた。
東京に戻り精神薄弱児施設の所在を調べ、「手をつなぐ親の会」を知った。会の本部に足を運んだところ、三重の山奥の施設で農業指導員を求めている話を伺った。早々に出向いて門を敲いた。児童指導員に採用されたのがこの仕事の始まりだった。
人生が決まることの不可思議を今でも思い出す。大学進学に迷っていた時、勤労学生寮で暮らしていた先輩から女性週刊誌を手渡された。君が行くところは「此処」だ、と。それが北海道の施設だった。週刊誌で精神薄弱児という言葉を知り、そうか、中学校の同級生のシゲとカッパンのことじゃないか、と思い至った。 知的障害のある同級生のことだ。
教師に何故勉強するのか、との問いの答え、「いい学校に入って、いい会社にはいって、いい人生をおくるため」に反発したことを思い出した。勉強ができる人たちでつくる序列社会はおかしい。一つの林檎を皆で分け合う、そんな仕事が精神薄弱児施設だと理解して門をくぐった。以来50年が経過した。
人間の存在価値は、勉強ができる、できないではない。能力主義的な価値に基準をおかない世の中にしたいと考え、この道を歩いてきた。よかったと思っている。
理事長 高山和彦
※写真は幸陽園農耕班の畑の風景です。