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特集記事


シリーズ『次世代につないでいく(3)』 せんせい、いつやめるの


【キンカン】てらん広場にてH29.12

精神薄弱児N園に初出勤したときにショウジさんから掛けられた言葉でした。この言葉の意味の苦さを知ったのは一年後でした。
小学校の巡回映画の題名は覚えていませんが、非行少年たちのドキュメントでした。今も、記憶が鮮やかに残っています。少年たちが寄宿舎で生活をしながら、学校で使う机や椅子を制作している姿、広い畑で野菜を育てている作業風景です。どうして、自分はあの施設にいないで、此処に居るんだろうか、と羨ましい思いを抱きました。
N園は映画を髣髴させてくれました。年末のクリスマス会には、近隣の山から刈り込んだ杉の枝で、高さ3メートル幅2メートルの門をつくります。講堂の窓には黒のラシャ紙を切り紙風に切り取って、何色ものセロファンを貼ってステンドガラスに仕立てます。日没からキャンドルサービスが始まり、天使の姿で現れた饒舌(ジョウゼツ)な山口君も、神妙な顔で子どもたちの列のなかをゆっくり歩いてキャンドルに火を灯します。
灯は一人ひとりの子どもらの行く末の幸せへの祈りでした。
この時期N園は変化の激しい気象に見舞われます。射していた陽を雪雲が遮り、雪しぐれが風に舞う寒さのなかで体を寄せ合っておやつを食べます。楽しい日々でした。 が、年度末、駅から「本日をもって退職します」、と電話を入れて東京に向かいました。尊敬していた副園長が辞職を迫られての抗議の退職でした。漱石の坊ちゃん風でした。今、思うと子どもたちや職員にとんでもない迷惑を掛けました。
こんな不良職員が今法人の代表をしています。52年前の苦い思い出です。